忍者ブログ
長野県松本市波田にある建築設計事務所です。 住宅や、事務所などの設計・監理業務を行っています。
[19] [18] [17] [16] [15] [14] [13] [12] [11] [10] [9]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 先日、ある調査で、松本市の里山辺へ行きました。
そこは、太平洋戦争末期に造られた、地下軍事工場跡です。
戦争末期、空襲が激しくなってきた都心の飛行機工場・研究所を疎開させる為に、
全国に数箇所造られたそうです。
里山辺の地下工場は、築造中に戦争が終わったため、実際工場としては稼動しなかった様です。
現存する地下工場跡で、築造中だったものは、全国でも珍しくここだけだということです。

 普段見る事の出来ない地下工場を見させていただきました。
案内をしてくださった、戦争遺跡保存全国ネットワークの皆様、お忙しい中ありがとうございました。
地下工場は山の中を東西南北にいくつかの坑道で構成されています。
築造中だったので、土砂を運び出すトロッコのレールが残っていたり、測量の跡や、
仕掛けられたダイナマイトなどが生々しく残っていました。
また坑道内壁には、色々な文字や記号らしきものが書かれています。

6ae0d25a.jpg








地下工場入り口


 実はこの地下工場の資料は松本市中央図書館の1階ロビーに常設展示されています。
調査の前に、私は展示資料を見て『こんな事があったんだ』
程度の遠い過去を見ている様な、漠然とした感覚しか残りませんでした。

 地際現場を目の当たりにして、急にリアルな感覚を覚えました。

61dc37a9.jpg






内部 坑道

 私達世代は、本や映像、また体験者のお話を聞き戦争を想像することしか出来ません。
しかし、この地下工場は戦争時をそのままを残し、私達に語りかけてきます。
まるで、タイムカプセルの様です。
この感覚は実際に中に入らなければわかりません。
写真や・文章や言葉では到底伝えきれません。

 この様な貴重なものが、なぜ正式に保存されていないのでしょうか?
歴史的遺産として十二分に価値のあるものだと思います。
寺社建築や彫刻等美しいものばかりが、遺産だとは思いません。
人間が行ってきたこと、全てが遺産です。
地下工場跡はあえて言うなら『負の遺産』として残すべきものではないでしょうか?

国交省は、全国にある地下工場跡を埋めて行く方針だと聞きました。
なぜでしょうか?
危険だから?
それとも・・・





PR
この記事にコメントする
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード
カレンダー
02 2024/03 04
S M T W T F S
1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31
フリーエリア
最新CM
[12/15 aula-m]
最新TB
プロフィール
HN:
野口大介
年齢:
57
性別:
男性
誕生日:
1966/05/09
職業:
建築家
バーコード
ブログ内検索
お天気情報
カウンター
アクセス解析
忍者ブログ [PR]