長野県松本市波田にある建築設計事務所です。
住宅や、事務所などの設計・監理業務を行っています。
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松本市都市計画課の方2名・建築士会社会貢献委員会・事務所協会まちづくり委員会合同のまちづくり視察へ行ってきました。
長浜市の中心市街地も他の地方都市同様、昭和50年代以降のモータリゼーションの影響で郊外開発が進み、まちなかから徐々に人の姿が消え始め都市の重心移動が起こりました。まちの衰退をくい止めるために昭和59年個性と魅力あるまちづくりを進める「博物館都市構想」が策定実施され、現在では年間200万人の観光客が訪れるまちに生まれ変わったそうです。
長浜は秀吉が長浜城を築城し、城下町として繁栄していました。まちなかには城下町特融な町割・町屋が多く残り、それら古いモノを再生活用してまちの賑わいを取戻しました。
その様な歴史を見ている豪商安藤家にいる木彫りのカエル君。
杢目を上手くいかして、何とも言えない存在感です。
そして長浜タワー。
長浜タワーは昭和40年代長浜のまちが繁栄していた象徴なのでしょうか?
一昔前の匂いがして、思わずシャッターを切りました。
長浜市の中心市街地も他の地方都市同様、昭和50年代以降のモータリゼーションの影響で郊外開発が進み、まちなかから徐々に人の姿が消え始め都市の重心移動が起こりました。まちの衰退をくい止めるために昭和59年個性と魅力あるまちづくりを進める「博物館都市構想」が策定実施され、現在では年間200万人の観光客が訪れるまちに生まれ変わったそうです。
長浜は秀吉が長浜城を築城し、城下町として繁栄していました。まちなかには城下町特融な町割・町屋が多く残り、それら古いモノを再生活用してまちの賑わいを取戻しました。
その様な歴史を見ている豪商安藤家にいる木彫りのカエル君。
杢目を上手くいかして、何とも言えない存在感です。
そして長浜タワー。
長浜タワーは昭和40年代長浜のまちが繁栄していた象徴なのでしょうか?
一昔前の匂いがして、思わずシャッターを切りました。
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