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長野県松本市波田にある建築設計事務所です。 住宅や、事務所などの設計・監理業務を行っています。
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 気持ちのいい室内空間をつくる方法として、大きな開口部を設けて屋外を取り込む方法があります。
大きな開口部は、屋外と屋内を繋ぐ有効な手段です。
積極的に繋ぐと、当然屋内外で色々なものの出入りが安易になります。
真夏の太陽光もその内の一つです。
冬は、積極的に屋内へ太陽光を取り入れたいのですが、
真夏の太陽の光は遮蔽しないと、室内は熱くて居られません。
屋根や庇を大きく出す事により、上からの太陽光は遮る事が出来ますが、
午後になり太陽が西に傾いてくると、西日が室内に容赦なく差し込んできます。

 開口部のガラスに熱線反射シートなどを貼る。
暴力的にエアコンの噴き出し口を開口部に当てる。
大きな落葉樹を植える。
などの方法もありますが、私はこれが好きです。

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 簾です。
簾を開口部に掛けると、当然屋内側に日影が出来ます。
すると屋内側と屋外側で微妙な温度差が出来ます。
微かですが空気の流れが発生し、簾がほんの少し揺れだします。

 強烈な太陽光は揺れる簾に遮られ細かな光となり、屋内に散りばめられます。
上の写真のテーブル面には、散りばめられた光と影の競演が見られます。
この光と影が微かに動く!
まるで木漏れ日の下に居る様で、感覚的にもとても涼しげです。

私の住む松本平は、この時期気温は高く成りますが、湿度は低い。
ですから日向は熱いですが、日影はひんやりと涼しいのです。
せっかくこの地に住んでいるのだから、この気候風土を上手く利用し、
少しでも化石燃料を使わない、夏の住まいとしたいものです。

 
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 今日(5月12日)、標高3,106mの北穂高岳へ行ってきました。
登山ではありません。仕事で山小屋へ打ち合わせに行きました。

 早朝6時に松本を出発し、上高地入り口の釜トンネルを抜けたのが
7時過ぎでした。
大正池まで行くと、そこには雄大な大自然が展開されます。42a0ccef.jpg








大正池に写る穂高連峰・焼岳

 私は、ほとんど登山の経験が有りませんので、
山頂へはヘリコプターで行きます。
今の時期は残雪が多く、歩いて登るにはアイゼンなど
専用の道具と、経験が必要ですし、
歩いて登ると11時間程度かかるそうです。


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乗せていただいたヘリコプター

 上高地のヘリポートから、山頂のヘリポートまでの所要時間は
5分程度でしょうか。
上高地を上空から眺めるなんて、とても贅沢なことです。

もうすぐ山頂です。
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山頂直下の斜面に、山小屋が見えてきました。

今日は、山の天候としては滅多にない好天だそうです。
雲が高く、風がほとんど無く穏やかな一日でした。
頂上では360°のパノラマが展開され、南東には八ヶ岳その奥に
富士山が薄っすらと見えました。
北側は、槍ヶ岳が手前に見え、奥に北アルプスの山々が連なっています。
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北穂高岳山頂から、槍ヶ岳を望む

 標高3,160m
こんなにすばらしい場所に居ると、
普段考えている事がとても小さく思えてきます。

追伸
自分の足で登れれば、もっと充実感があって、感動も大きいのだと
おもいます。機会があれば十分準備(装備・そして体力)をして、
ぜひトライしてみたいものです。








 先日、ある調査で、松本市の里山辺へ行きました。
そこは、太平洋戦争末期に造られた、地下軍事工場跡です。
戦争末期、空襲が激しくなってきた都心の飛行機工場・研究所を疎開させる為に、
全国に数箇所造られたそうです。
里山辺の地下工場は、築造中に戦争が終わったため、実際工場としては稼動しなかった様です。
現存する地下工場跡で、築造中だったものは、全国でも珍しくここだけだということです。

 普段見る事の出来ない地下工場を見させていただきました。
案内をしてくださった、戦争遺跡保存全国ネットワークの皆様、お忙しい中ありがとうございました。
地下工場は山の中を東西南北にいくつかの坑道で構成されています。
築造中だったので、土砂を運び出すトロッコのレールが残っていたり、測量の跡や、
仕掛けられたダイナマイトなどが生々しく残っていました。
また坑道内壁には、色々な文字や記号らしきものが書かれています。

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地下工場入り口


 実はこの地下工場の資料は松本市中央図書館の1階ロビーに常設展示されています。
調査の前に、私は展示資料を見て『こんな事があったんだ』
程度の遠い過去を見ている様な、漠然とした感覚しか残りませんでした。

 地際現場を目の当たりにして、急にリアルな感覚を覚えました。

61dc37a9.jpg






内部 坑道

 私達世代は、本や映像、また体験者のお話を聞き戦争を想像することしか出来ません。
しかし、この地下工場は戦争時をそのままを残し、私達に語りかけてきます。
まるで、タイムカプセルの様です。
この感覚は実際に中に入らなければわかりません。
写真や・文章や言葉では到底伝えきれません。

 この様な貴重なものが、なぜ正式に保存されていないのでしょうか?
歴史的遺産として十二分に価値のあるものだと思います。
寺社建築や彫刻等美しいものばかりが、遺産だとは思いません。
人間が行ってきたこと、全てが遺産です。
地下工場跡はあえて言うなら『負の遺産』として残すべきものではないでしょうか?

国交省は、全国にある地下工場跡を埋めて行く方針だと聞きました。
なぜでしょうか?
危険だから?
それとも・・・





 先日長野県の主催で、「被災建築物応急危険度判定士」の講習会がありました。
応急危険度判定士は、大規模な地震が発生(震度5弱以上)した場合、
被災地の行政からの要請により被災地へ赴き、被災した建物が余震等に対し
引き続き安全に使用出来るかを応急的に調査し、
余震等による二次災害の発生の危険度の判定を行います。

長野県では、この制度が平成7年度から実施されています。
 判定士の有効期限は5年間なので、この3月で私の場合期限が切れてしまうので、
今回更新の講習会に出席して来ました。
講習会では、被災建物の判定方法や、調査書等についての説明が2時間半に渡り行われました。
 被災地に行かれた方や、テレビなどで見られた方もいらっしゃると思いますが、
被災後、建物に赤黄緑色の紙が貼られています。あれが判定をした後です。

 判定方法を簡単に説明します。
判定には建物の構造(木造・鉄骨造・鉄筋コンクリート造)別に調査票が作られており、
判定する建物により使い分けます。調査票には判定基準となる項目が記載されていて、
それぞれABCのランクがあります。目視や測定器具(下げ振り等)により調査をして
各項目をチェックし、すべてがAランクであれば危険なしとして調査済みの緑色の紙を貼ります。
1つでもBランクがあると要注意となり、黄色の紙が貼られます。同様に1つでもCランクがあると
危険の赤色の紙が貼られます。

 皆さんはこの様な制度があることをご存知だったでしょうか?

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 新しい年2008年がスタートしました。
昨年は、A&D住空間スタジオを解散したり、私個人の事で色々と落ち着かない年
でした。施主の方々、施工業者の方々には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
諸問題も解決しつつあります。これも、皆様のご理解ご協力のおかげです。
ありがとうございました。

今年はじっくりと設計・監理をして行きたいと思いますので、宜しくお願いいたします。
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誕生日:
1966/05/09
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